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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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大磯 鴫立沢西行庵 隷書東海道(弘化刊) |
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大磯宿はこの西行庵(鴫立庵)と曽我十郎の愛人大磯の遊女虎御前の話で知られている。東海道の錦絵もこの両者を題材にしたものが多い。西行庵は西行上人の「心なき身にもあはれはしられけり、鴫立沢の秋の夕ぐれ」の旧跡にちなんで、元禄八年(一六九五)、俳人大淀三千風が再興した。街道に近いせいもあり、当時の風流人たちが、沢山立ち寄っていたといわれている。この絵はまさに西行の詠う夕暮れの景色を描いたものである。今、宗匠風の恰好をした男が婦人二人に、物知り顔で鴫立沢の風情を説明している。三人連れという訳でもなさそうだ。右側の婦人は笠をはずしているので、髪を手ぬぐいで覆っているのがわかる。整髪した島田髷がくずれないように、こうしているのである。半分は見栄であるかもしれないが、道中には江戸っ子が満足できる髪結いは少なかったのであろう。男の髷も同様であるが、道中でいつもきれいな髪型を保つのには苦労したようだ。二人とも腰がかなり、膨らんでいるのがわかる。道中ではふところに、物をしまうことが多いので、帯だけではゆるんだり、形が崩れやすくなる。道中着の上にもう一度、腰紐で締めているためである。更に着物の裾がまとわりつかないように、前をたくし上げ、歩きやすく着付けている。足は足袋に草鞋履きである。足袋は元禄頃より、紐結びから小鉤に変わってきたといわれている。保永堂版は雨の景色で「虎が雨」の小題がつけられている。虎が雨とは五月二十八日に降る雨のことで、前述の虎御前が曽我十郎と別れた時の涙が雨になったといわれている。大磯宿には彼女が石になったという虎ヶ石もある。
文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 ご承知おき下さい。 |
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