写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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藤沢 遊行寺
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 藤沢宿は時宗総本山遊行寺の門前町で、江の島や大山への別れ道という交通の要所でもあったので、非常に賑う宿場であった。この絵をみても、この様子がよくわかる。
 右上の小高い丘に建てられた寺院が遊行寺(正式には無量光院清浄光寺。あるいは藤沢道場)である。手前の大きな鳥居は江の島(弁財天)の一の鳥居で、ここから島まで約五キロメートルある。藤沢の宿場は中央の遊行寺橋の右にみえる家並みから橋の左方(画面には収録されていないが、東海道は右に直角に曲る)へと続く。むしろ橋の左方が藤沢宿の中心街である。江の島の鳥居の左には座頭が四人、島へと向ってくる。将軍綱吉を治療した名鍼医杉山和市(検行)は江の島に参詣、断食の行により、管鍼の術を開眼したといわれている。関東総検行の杉山検行の故地を慕う彼らの旅である。遊行寺橋の中央に木刀をかついだ職人ぽい男たちがいるが、これは大山(石尊権現)参りの道中である。毎年七月、江戸隅田川で水ごりを行い、体を清めた男たちは木刀を奉献するため、大山に向った。大山で新たに木刀をいただいた男たちは精進落しをするため、藤沢宿に泊ったので、夏の宿場は大変な賑いであったことが知られている。ふだんの飯盛の揚代は五百文(約七千五百円)であったのが、この時期は七百文(約一万五百円)に上ったともいわれている。旅籠は一般に二百文(約三千円)といわれている。一見、二食付でこの値段は安いようにもみえるが、汚い部屋に相部屋で押し込められ、大勢の入った垢だらけの風呂に入れられ、飯・味噌汁と簡単な付け合わせといった貧しい食事に我慢することを考えるなら、むしろ高いものであるかもしれない。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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