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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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戸 塚 隷書東海道(弘化刊) |
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戸塚宿の西方に大坂がある。この絵はこの坂上を描いたものであろう。大山・丹沢山の向こうには、右方が画面よりはみ出し切れてしまった、富士の高峰が見える。現在でも、この台地上には旧東海道の松並木が残り、その脇を自動車がビュンビュンと通り過ぎている。武家の従者であろうか、荷をかついだ旅人が下方にいる。その上には荷を背負い杖をついた巡礼、馬に乗った旅人が坂を登る。この馬の乗り方を乗掛という。馬の背の上に二つの明荷(葛籠)(重量は二十貫ー七十五キログラム)を置き、その上に布団を敷いて客が座るという乗り方である。不安定なこの荷の積み方は、かなり難しいものであったという。馬の使い方にはいくつかある。馬に四十貫(百五十キログラム)以内の荷物だけを載せる本馬、人と手荷物(五貫、十九キログラム、以内)を乗せる軽尻、馬の背の中央と左右に一人づつ、合わせて三人乗せる三宝荒神(第51吉原参照のこと)がある。天保十五年(一八四四)の戸塚から藤沢までの料金は本馬百三十三文、軽尻八十七文である。各々現在の二千円前後、千三百円前後と思われる。絵にみえる乗掛は本馬と同様の料金であるので、荷物と人が一緒に使えるという、安価な乗り方であったようだ。五貫以内の荷を担ぐ人足は、本馬の半分の料金で六十六文(約千円)である。しかしながら、これらの料金は幕府・旗本などが利用する公定価格である。一般の伝馬使用は相対の賃銭であるので、これとは別で、この料金の二倍ほどもかかったともいう。現金収入の少ない江戸時代でも物価の上昇には悩み、幕府は度々公定価格を決め、値上がりを押さえていた。この絵より百三十年前の正徳元年(一七一一)の本馬の料金は八十六文(約千二百円)である。
文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 ご承知おき下さい。 |
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