写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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草 津
狂歌入東海道(天保後期刊)



 草津は東海道と、上州路や木曽路を越えてきた中山道との合流地であるために、繁盛した宿場であった。本陣は二軒、脇本陣も二軒あった。大きく描かれた茶屋は「うばがもち屋」である。宿場から約一キロメートルばかり南方、次の宿大津寄りの立場(5保土ヶ谷宿解説参照)矢倉にあった。うばがもち屋のこちら側には木皮葺きの屋根に、石をのせた民家も描かれている。茶屋の大屋根に掛かる看板は「うばがもちや」、左の軒下には「うばが餅」が下がっている。うばが餅は戦国時代、佐々木家曽孫を育てた乳母に由来した餅であるので、小さな餡餅の上に乳首の形をした白餡をのせたお菓子である。現在では代が替わり、店は立場の矢倉から、国道一号線際に移っている。駅前にも店舗があるので、草津の代表的なみやげ物として知られている。店の中には、餅を食べている客が随分見える。各道中記に見える菓子となると、美味い不味いは別として、かなりの客が入ったことだろう。今男女三人が出発しようとしている。背後の菓子桶には、できあがった餅がいっぱい入っている。その右側には重箱が積み上げられている。その手前の柱にも看板が下がるが、これは「京橋仙女香」で、餅ではなく、度々みえる江戸のおしろいの広告である。その前には荷の重さに耐え、足をふんばる馬がいる。休憩中の駕籠も二挺いる。駕籠かきの相棒は店前にかがみ、履き換える新しいわらじが、足に当たらないように盛んにたたいている。左側に門が見えるが、こちらから奥の座敷に入る。反対側、店の右側は東海道から琵琶湖岸の矢橋に向かう道である。ここから約三キロメートルである。矢橋から大津まで船便があった。一人十五文(二百三十円程)(弘化元年)かかる。矢橋の地は近江八景矢橋の帰帆で知られた景勝地であった。しかしながら、冬場の舟は、対岸の比良山(一一七四メートル)から吹き下ろす寒風「比良の下風」に悩まされたようだ。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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