写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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土山 春之雨
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 田村川を渡る大名行列といわれている。「春之雨」の小題通り、雨の道中は侘しい。鈴鹿の山から流れ出すこの川は、水しぶきを上げて勢いがよい。馬子歌の「坂は照る照る鈴鹿は曇るあひの土山雨が降る」を思い起こす絵である。広重の東海道の他シリーズでも、「行書東海道」や「狂歌入東海道」はこの絵と同様、雨の道中姿が描かれている。土山の課題でもあろう。大名行列の先頭を歩く槍持ちは、晴れていれば堂々と威儀を正して歩くところであるが、雨中のせいか背が丸まっている。隣りは先箱の探挾箱である。肌寒い春雨の中で、皆赤と緑の合羽を着込んでいる。大名行列の中には供回りの合羽を集めた合羽駕籠が常にあった。かねて用意の効があったところではあるが、雨には困ったはずである。当時雨降りには、桐油を紙に塗った紙製の合羽を着ていた。武士は従僕であっても、この絵のような袖合羽であった。従僕は赤の合羽を着ることが多かったので、中間(ちゅうげん)のことを赤合羽とも呼んだ。町人が着る合羽は道中合羽と同様、マント形の袖なし合羽であった。『東海道宿村大概帳』をみると、田村川の川幅は大概二十二間(四三メートル)あった。安永四年(一七七五)に架橋され、有料橋で橋銭は旅人だけが払い、御用の通行・武家や住人往来は無料であったようだ。橋銭は一人三文(四十五円)、荷物は荷主払いで一駄三文(四十五円)であった。高札が橋の東西に二ヶ所、橋番所もあった。この川が田村川であるとすれば、前の森は田村神社の森と考えられる。この保永堂版の絵には、雑なかぶせ彫りによる再刻図がある。同じ図柄であるので、本図と同版にも見間違いやすいが、よく見ると人物や杉の幹が粗雑なところがわかる。江戸に近いところには再刻図が多いが、このあたりに別版があるのは珍しい。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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