写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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保土ヶ谷 境木立場
狂歌入東海道(天保後期刊)



 茶屋が立ち並ぶ立場が描かれている。立場とは人足・駕籠・馬が休むために、宿場と宿場との間にできた休憩地である。この立場は保土ヶ谷と戸塚間(七・五キロメートル)にできたもので、保土ヶ谷を出発して約四キロメートル、急峻で長い権太坂を登りきったところに位置している。疲れた馬や人足だけでなく、もちろん旅人も休息する。境木とは国境に立てられた傍示杭のことで、ここが武蔵国と相模国との境である。境木がそのまま地名になった。東海道線や横須賀線で通勤する人が、毎日往復の電車で通り抜ける保土ヶ谷・戸塚間の長いトンネルの上が現在地である。立場では馬には水や麦が用意され、旅人には名物が売られていた。ここの名物は牡丹餅である。
 この絵をみると、左側の茶屋に四人の客がみえる。渋茶をすすり牡丹餅を食べ、疲れた足を休めている。駕籠かき人足が休憩に出たあと、駕籠から一歩も踏み出さない客には、茶屋の女たちが愛想よく茶菓を運ぶ様子もみえる。もちろん只ではない。この立場を過ぎると今度は信濃坂の下り坂でもあるので、ここは東海道の上り下りの客で賑わっていたようだ。この茶屋の女たちが媚を売る商売にならないように、幕府は常に目を光らせていた。どの茶屋も土間ばかりで、すっかり開放された建物になっているのは、こうした理由でもある。飯盛が商売できるような、細かに仕切られた建物はもちろん厳禁である。営業時間にもまた制限が加えられ、明六ツより暮六ツまでで、夜間営業は禁止されていた。各宿場には飯盛女郎がいる時代であるので、風俗営業有無の問題ばかりではないようだ。宿場からは幕府に上納金が入るが、立場で宿泊されたのでは収入(税収)にならないことも理由の一つであった。

文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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