写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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坂之下 筆捨嶺
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 「坂之下」と題がつけられているが、宿場の位置より随分下方である。崖を越えてむこう側に聳える筆捨山は二八九メートルの山で、『東海道名所図会』の解説が詳しい。同書には「市ノ瀬川の辺にあり。海道の左の方は麓に八十瀬川を帯びて、山頭まで所々に巌あり。その間々みな古松にして、枝葉屈曲にして作り松のごとし。本名は岩根山といふ。里諺に云ふ、狩野古法眼東国通行の時、この山の風景を画にうつしてんやとっ筆をとるに、こころに逮ばず、山間に筆を捨てしとぞ」と書かれている。現在も岩膚に松の生えた特異な山容である。この茶店の建つところは、市瀬村内(関町)の藤ノ棚立場で、筆捨茶屋(四軒茶屋)と呼ばれる茶屋があった。現在でもこの辺りから、この絵とほとんど変わらない景色を見ることができる。茶屋の手前の崖ふちの大きな空間が、東海道の道筋である。東海道はそれから茶屋の裏側を通り、関方面へと下っていく。茶屋の中には何人も客がいる。外には手をかざして景色を眺めていく男がいる。この茶屋には色々メニューがあるのか、沢山の紙が貼られている。茶屋に入らずに、その前で荷に座り休みをとっている男もいる。この辺りで充分に休憩をとり、これから越える鈴鹿峠にそなえているのかもしれない。手前には父子に連れられ、背に桶を四つのせた牛が、茶屋の方に歩んでいる。当時の馬は現在に比べ小形で力がなかったために、山間など悪路では牛が使われていた。『東海道名所図会』所収の挿絵は、この付近をよりロングな鳥瞰図に描いている。茶屋の手前には牛がおり、茶屋の外には絶景を指さす男がいる。筆捨山の向こうに、もう一つ大きな山が見える。この絵の構図は同書と似ているように思われる。この辺りから西に行くと、広重の東海道錦絵には同書の挿絵と同じ構図のものが幾つもある。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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