写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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庄野 白雨
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 激しい夕立である。画面に描かれた人物は皆しゃにむに駆け抜けている。左方に逃げる駕籠、右方に逃げる鍬を担いだ農夫、左方の駕籠の前には藁むしろを被った男、右方の農夫の向こう側には番傘をさした男もいる。駕籠の客の左手だけが見えるのもおもしろい。激しい雨風では、十分に傘を開くわけにもいかない。傘にはちゃんと版元の名が刷り込まれている。右が保永堂の「竹のうち」、左がシリーズ名の「五十三次」である。背後には、大きく揺れ動く竹薮が描かれている。濃淡二段のシルエットが刷り込まれている。右下には民家が見える。この景色は日本国中どこにでも見られる風景である。無理に庄野付近に比定する必要はないかもしれない。竹林の揺れる眺めは、以前は東京付近でも珍しくはなかった。庄野宿は旅籠屋十五軒・家数二百十一軒・人口八百五十五人(男四百十三人・女四百四十二人)と、隣宿の石薬師とともに小さい宿場町であった。平地の平凡な景色であるので、広重自参の画帖からは、満足した構図のスケッチが見つからなかったのかもしれない。この絵は「蒲原 夜之雪」「四日市 三重川」「亀山 雪晴」(次掲)とともに、広重の最初の五十三次シリーズである、保永堂版中の傑作の一つといわれている。「蒲原 夜之雪」はその地に似ていないこともないが、広重は真夏に旅をしたはずであるので季節が違っているし、「三重川」はこの庄野と同様にどこにでも見られる葦の原である。名作というものはスケッチそのままではなく、作者が素材をよく消化した後に創作されたものとみて、おかしくはないであろう。庄野は小さい宿場ではあるが、有名な名物があった。俵の焼米である。少しの焼米を入れた、握り拳ほどの可愛い米俵で、中央が強く締められ、くびれていた。もとは旅の携帯食であったろうが、この当時はもちろん玩具の一種ともなり、子どもの土産に変わっていた。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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