写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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隷書東海道(弘化刊)



 この宿場は熱田神宮の門前町であるので、宮と呼ばれていた。東海道は現在のJR東海道線とは違い、名古屋は通らずにここから桑名までは海上の船旅である。七里の渡し(間遠の渡し)という。海岸沿いを船は進んだわけだが、昔の人は現代人以上に船を極端に恐がっていたという。陸路を津島まで大回りして、佐屋の渡しで木曽川を桑名まで約三里を南下する。佐屋道を通る人も多かった。浜名湖の出口を渡る今切の渡しを避けるのと同様に、四時間も船に乗るのは『膝栗毛』にも書かれているように、弥次喜多ならずとも、小用などいろいろ困ることもあったのであろう。また引潮の時には十里(四〇キロメートル)といわれるように、更に大回りをしなければ、桑名に行けないとなると、よほど時間がかかった。道中記には波風のおだやかな時は景色がよい。退屈なので、酒・菓子をそなえておくとよいと書くものもある。
 この絵は渡し場の俯瞰図である。乗降口には熱田神宮の浜の鳥居が建てられている。その上に見える常夜燈は、夕刻以後、船の運行の終了した渡し口を照らしていた。その右方には船番所があり、船に乗る旅人は船賃を払ったり、乗船名簿に記帳するために、立ち寄らねばならなかった。桑名までの船賃は一人六十八文(現在の約一千円)、本馬や乗掛(戸塚宿参照のこと)の人馬と荷はともに百六十文(約二千四百円)である。ここからは伊勢の四日市までの船も出ていた。少し高く、一人七十一文(約一千六十円)、本馬と乗掛はともに百六十六文(約二千五百円)である。この他、渡し口の左右には尾張藩の東西の浜御殿があった。中央の櫓風の建物は東の浜御殿である。この七里の渡し口は現在、かなりの復元工事がなされているが、海岸線の埋め立てが進んだために、海に面していた乗り場も、掘割の奥に変っている。一瞬ではあるが、東海道新幹線からこの渡し口(名古屋駅に向かって右方)を見ることができる。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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