写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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神奈川 台之景
保永堂版(再刻図)(天保頃刊)



 神奈川宿西はずれの崖淵に立ち並ぶ茶屋町の光景である。茶屋の左側崖下には海がせまっていた。これらの並び合った二階建ての建物は海側に懸造りにしていた。現在のJR横浜駅北方の台地中腹である。横浜駅は画面中央部、当時の海中に位置している。明治の地形図をみると、入江の様子がよくわかる。手前より芳屋・たるや・玉川・さくらやと実在した茶屋が描かれている。左側に並んだ茶屋から女たちが出てきて、激しい客引き争いが展開されている。客引女から逃れようとする旅人の必死な様相がうかがわれる。彼女たちは、後から坂を登る貧しい巡礼母子や仏像を納めた厨子を背負う六十六部(六部)には目もくれない。六十六部は古くは書写した「妙法蓮華経」を六十六ヶ国の霊場に奉納する行脚僧であったが、当時は仏像を背負って各家前で読経してお金をねだる僧体の者を呼んでいた。彼らは引っ張り込まれる心配もなく、ゆっくりと歩みを進めている。道中筋には、巡礼・寺社のお札売り・六十六部・ひしゃくを持った伊勢の抜け参りなど、喜捨をせがむ人々が随分いた。坂の上方には、これから茶屋町に入る旅人二人の姿がみえる。人待ち顔の女が立っているので、じきに二人とも彼女の強引な呼び込みに悩まされるのであろう。海側に張り出した茶屋の二階からの眺めは、すばらしかったという。神奈川の入江には、風に帆をはらませた船が何隻も浮かんでいる。中央上方の二段にみえる岬は本牧岬や山手の丘であろう。この絵の描かれた二十余年後(安政五年)には、岬の手前の横浜村が外国船の開港地となり、明治には国際的な大都市になるなど、広重には想いもよらぬことであっただろう。神奈川の宿場町はこの台地下方手前にある。JR東海道線の海側、すなわち京浜急行の横浜の一つ手前の神奈川駅周辺である。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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