写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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赤 坂
隷書東海道(弘化刊)



 御油同様、赤坂も夕刻は客引きの留女が声を張り上げ、騒々しい宿場であったという。隣宿の御油との距離が一・七キロメートルとあまりに近すぎたために、両宿は客の取り合いが激しく、毎日毎日が競争の明け暮れであった。両宿間は一・七キロメートルといっても、二つの宿場の中心までの距離のようである。実際には御油・赤坂の間には約六百メートルの松林が続いており、両宿ともに町並みがそのすぐ外側まで迫っていた。実際の道のりはこの松林の長さだけのようである。保永堂版御油のアップした眺めとうって変り、こちらは宿場町を上方から俯瞰式に描いている。画面はやや堅くなるが、留女が活躍する旅籠前の様子がわかる。前掲御油ほどの激しさはみられないが、実際には大差はなかったと思われる。右側には道中合羽の二人連れをとらえる客引きがいるが、二人ともこれはあっさりと避けそうである。中央の旅籠の女二人は随分しつこそうだ。背中に小さい風呂敷を背負った一人旅の男は、かなり強烈に引っ張られている。その前の二人連れは女に声をかけられ、どうしようかと顔を見合わせている様子であるので、直に客になるだろう。左隣りは蝋燭など売る店である。右側の、左すみだけが見える旅籠の壁には、大きな円が描かれている。中は「清」の字で、版元の丸屋清兵衛の広告であろう。普通の旅籠は中央に一間幅の入口があり、左か右が板の間であった。正面の旅籠には、母親を中央にした息子夫婦らしい男女の三人連れが到着している。今、中から足を洗う水桶が運ばれてくる。二階の左側二部屋には、あんまさんに肩や腰を揉ませている客の様子が見える。右の部屋では男女が一杯やっている。当時の赤坂と御油、両宿場の人口構成は、赤坂が男五七八人・女七二六人、御油が男五六〇人・女七三八人と、両者とも女が男より百人以上も多いという飯盛り女を沢山抱える宿場の様子をよく伝えている。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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