写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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川崎 六郷渡舟
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 多摩川の六郷の渡し(現在の東海道線鉄橋よりやや下流)の光景である。手前が東京側、対岸が川崎側である。明治初期に外国人が撮影した写真が数枚現存しているが、まさにこの舟である。風景錦絵は現在の写生画とは違い、特徴あるものを大きく大げさに描くものが多いが、この絵は実写に近いものである。渡し船にはたばこを吸う旅人、笠をかぶりうつむく男、荷を直す男、船頭の右には男女三人が話し込んでいる。舟であったばかりの三人かもしれない。たばこの女は髪に手ぬぐいを巻いているが、これは埃よけである。舗装道路のない土埃の立つ街道を歩く婦人にとって、髪(びん)つけ油で結い上げた日本髪は埃がこびりつき、こまったことだろう。この女は身なりからみて、旅人ではなさそうだ。遠方に旅する婦人は着物が汚れないように、浴衣を上にはおっていた。向こう岸には俵をいっぱいに積んだ馬が、舟を待っている。これから、馬と一緒に旅人は江戸側(六郷)に渡る。その背後には三度笠をかぶり道中合羽を着た二人の男がいる。道中合羽(坊主合羽、関西では引き回し)は南蛮人の着ていたマントからヒントを得て作られたものといわれている。うしろに小屋がみえる。ここが舟役所である。この役所は川崎側だけにあり、ここで乗降客は舟賃を払っていた。現在の有料道路と同じで、一方にだけ検問所があるわけだ。丁度、今支払っている男がいる。幕末には十三文程度であった。一文は現在の十五円ほどであるので、二百円程度であろうか。都バスより少し高いぐらいと思えばよい。旅人は渡し船を降りると、ほっと一息つき、どこかで休みをとりたくなる。そこには、亀屋と万年屋という二軒の奈良茶飯の茶屋があった。渡し場の向こう側が宿場の入口で、遠くに宿場の家並が見える。

文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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