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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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見附 天竜川図 保永堂版(天保三・四年頃刊) |
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天竜川は当時下流では二筋に分かれ、東側を大天竜、西側を小天竜といった。この絵は大天竜・小天竜の間の洲の光景と思われる。ここで、渡し船の乗り継ぎをする。手前の船頭が持つ長い竿が印象的である。対岸の森や山には霧がかかり、おぼろげに見える。この洲の左中央に武家と思われる一団と荷を乗せた馬がいる。一見、今舟を下りたばかりのようにもみえるが、一番右の男が腰を下ろしているので、舟が来るのを待っているとみた方がよいかもしれない。左側に着岸しそうな舟があるので、これに乗るのであろう。馬はこちら側を向いているが、舟に乗るのにおびえ、宥められているところかもしれない。既に二隻の舟が川を渡っているが、乗客は武家のようにも見える。もしそうであれば、大名行列の一部であるかもしれない。大名行列は映画・テレビでは、整然とした行列であるが、西洋式の軍事教練のない時代であるので、そうした隊列とは思われない。行列が勢ぞろいして歩くのは、城下町とか宿場の中などの人に見せるときだけという。槍持ちが華々しく大槍を振るいっぱなしでは行列が進まない。広重の東海道錦絵には、大名行列のバラバラになった姿と思われる図が随分見られる。この川の渡し賃(公定料金)
は大天竜・小天竜ともに、一人三十六文(約五百四十円)、駕籠を乗せると百十二文(約一千六百円)である。前述のこれから乗ろうとしている馬はかなり大きな荷物であるので、本馬であろうか。とすれば、駕籠と同じ百十二文である。両川とも渡し船として小番船二十二隻が用意されていたが、通常は各六隻が使われ、船頭が十二人いた。増水の折りには、四十四人がでて二十二隻全部がフル回転で運行した。日光御門主や京都の公家のような高貴な方が渡るときには、手伝人足の他に高瀬船・定助船・大助船が集められた。 文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 ご承知おき下さい。 |
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