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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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袋井 出茶屋ノ図 保永堂版(天保三・四年頃刊) |
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晩秋の街道べりの光景である。取り入れの終わった田んぼの向こうには、五つの稲叢(いなむら)が見える。黄色と灰色と二種類あるのは、稲叢の真新しいものと古いものとを区別しているのだろうか。絵心で二色にしたのであろうか。茶店のおばさんの周りにいるのは、皆店の常連であろう。街道沿いの大木から、お茶の大やかんを釣り下げているのもおもしろい。おばさんは火をかき回して火力を強めているようにみえる。或いは右側の駕籠屋がたばこに火をつけやすいように、手ごろな火種を捜してあげているのかもしれない。随分煙が昇っている。始めは炉からやや右寄りに昇り、次いで大木の左に行き、二股になって上空に向かっている。駕籠屋の相棒はくたびれきってしまったのか、駕籠に腰をかけ、うなだれている。背後にある傍示杭は次宿への里程など書かれているものと思われるが、判読できる文字ではない。左に座る飛脚は定飛脚にみえる。毎月定期に江戸と京都・大阪の間を往復していた。寛文三年に月三回の定期便ができ、江戸・大阪間が六日かかった。彼らがかぶった笠を三度笠と呼んだ。ところが、だんだん到着時間が遅くなり、その後江戸の業者に定飛脚を認可して、民間飛脚の便利な時代へと変わっていったという。遠く、稲叢の左には一日の農作業を終えた農夫が牛を連れて帰ってくる。こうした長閑な眺めは当時何処でも見られたものであろう。左の「広重」名の下に、朱印記「仙鶴堂/保永堂」があるが、版元の鶴屋喜右衛門と保永堂竹内孫八の印である。広重の最初の東海道シリーズ(本図)は保永堂だけではなく、この両者が版元となって出版が始められたようだ。日本橋から袋井の間の十一宿の絵に、本図のような連名の印記が押されている。これ以後は保永堂が独自に刊行を続けたように見うけられる。
文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 ご承知おき下さい。 |
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