写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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掛 川
狂歌入東海道(天保後期刊)



 宿場の西はずれ、二瀬川に架かる大池橋(二瀬川橋)である。この橋は土橋で、『東海道宿村大概帳』には、「土橋 長弐捨九間七寸(約五三メートル余) 横三間壱尺五寸(約六メートル) 橋杭三本立拾二組」と記される。橋の上にはこちら側(掛川宿寄り)に向かって勧進聖が歩んで来る。寺院の本堂など建立の資金を集めて全国を歩くものも多かったようだ。二人の六十六部が向かい側に歩む。厨子に納めた仏様を背負い、道中人々の喜捨を受け、六十余州の旅を続けていた。広重の東海道や中山道の錦絵には、こうした喜捨で生活する人々が随分描かれている。橋の向こうに見える鳥居は、秋葉道の分かれ道に建てられた、秋葉神社の一の鳥居である。ここから神社まで九里半の道のりである。前述『東海道宿村大概帳』にはこの付近の様子が「往還右之方少々引込、秋葉権現の唐金鳥居・常燈明・手水鉢并秋葉江之道印之石有之」と書かれている。黒っぽい鳥居・常夜燈一対や高札が描かれている。広重の錦絵シリーズはほとんどが掛川といってもこの付近の景色である。しかし、本図同様にこの石の道標を描いていない。秋葉神社の三尺坊は、火防せの神様として江戸時代には広く信仰され、全国的な秋葉講の組織が作られた。講の人々は代参したり、供養のために常夜燈を建立した。分かれ道などにあることが多い。伊勢・京都・大阪など関西への遊山旅の途中、ここから秋葉山に回り、浜名湖の北側を進む脇往還の姫街道(本坂道)を通り、御油(36)で再び東海道に合流する人も多かった。この辺りの常夜燈には、秋葉講の講元の名が刻まれたものが多い。『膝栗毛』で、喜多八が座頭をだまして背負われて渡ろうとして失敗した塩井川は、二瀬川とは反対側の、掛川宿東はずれの川である。左上の狂歌は『秋葉てふ道の名あれど春風はかけしくずぬのうらゝにぞ吹 鴟尾鳴陰』。

文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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