写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

−26−
日 坂
小夜の中山夜啼石・無間山遠望
行書東海道(天保後期刊)



 小夜の中山は、金谷と日坂の間の山間に位置する立場である。中山は谷間ではなく、小高い台地状の山地の頂上部(標高約二五〇メートル)に位置している。広重の五十三次錦絵は保永堂版以下いずれも日坂宿といっても、本図と同様に小夜の中山の絵ばかりである。中央の大きな石が夜啼石で、道の中央にあるため、旅人の歩行に邪魔であったともいわれている。
 左側の男二人は、話で聞いた夜啼石(よなきいし)をながめている。右側の道中合羽(引き回し)の男は股ひきの上に脚絆を付けているが、背中に小さな風呂敷包を背負う男は素足に脚絆である。右の駕籠に付き添う女は従者であろうか。くたびれきった様子で駕籠に乗っているのは、主人か舅であるかもしれない。遠方に見える山が別の由来話にでてくる無間山である。仇討ちの話にまつわる石として、当時の旅人は道中記などをみて、皆この夜啼石のことを知っていたのであろう。昔亭主を亡くした臨月の女がこの地で殺され、中山の観音の慈悲によって、その母胎から男の子が生まれ、水飴で育てられた。その子は音八といい、その後観音の力で母の仇を討つことができたという。母親が殺された時には、その傍らの石や木が啼いたという。この石が夜啼石である。この話は本によって少しづつ違い、仇は悪行を悔い巡礼になっており、観音の導きで音八はあきらめたという話もある。本館所蔵『遠州佐夜中山子育観音并夜啼石敵討由来(昭和五刊)』など、この由来話はこの付近で随分出版されたらしく、調査したものだけでも九版がある。この辺りの茶店で売られていたものであろう。子育て由縁の水飴や飴の餅が名物であった。飴の餅は『膝栗毛』によると、餅の上に水飴をかけた甘いものであることがわかる。広重の別のシリーズ「人物東海道」には、飴の餅の看板を掛ける茶店で、女が客を手招いている様子が描かれている。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


※著作権により、複写・転載等を禁じます。



ホーム



株式会社 宮原新聞舗
〒955-0861新潟県三条市北新保1-12-14
TEL.0256-33-1187
FAX.0256-34-5715
MAILmiyahara@yc-sanjo.com