写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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島田 大井川駿岸
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 島田は、東海道一の難所「越すに越されぬ大井川」の東岸に控えた大きな宿場であった。
 この絵は大井川の島田側(駿河側)の鳥瞰図である。画面がロングであるので、人の姿がすっかり小さくなっているが、それでも河原の様子がわかる。
 この絵は大名行列の川越えである。身分に応じて肩車・輦台で行列は渡る。大名の一行は少なくとも六十人、五十二万三千石の福岡藩主黒田家ともなると、一千人を超えた。川越えの料金は水量によって決められ、川岸の川番所で川札が売られていた。札一枚は水量の少ない「膝通」で三十八文(約五百円)、常水(約七十六センチメートル)の「帯通」で五十八文(約八百円)、一番深い「脇通」は九十四文(約一千四百円)であった。水深が常水(七十六センチメートル)を越えると、手張り人足がつくので、札が二枚必要になる。大名行列は、輦台を使うことが多い。札には川札と台札があるが、川札の料金に換算して各種の輦台を計算(常水の「帯通」の深さで)してみると、かつぎ手四人の台は川札六枚で三百四十八文(約五千二百円)、手すりのついた四人の台は八枚で四百六十四文(約六千九百円)、同様のかつぎ手十人の台は三十六枚で二千八十八文(約三万一千円)、四方手すり四本棒(大高欄)の立派な台は五十二枚で三千十六文(約四万五千円)である。見栄はあっても内情の厳しい大名家にとって、川越えだけでも大変な負担であったはずである。大名行列が渡るだけで、何十両という出費がかかっていた。
 「脇通」四尺五寸(百三十六センチメートル)を越える水深となると、川止めとなり、前後の宿場はいっぱいになり、民家にまで泊まらなければならない状況になった。付近の住民にとっては、迷惑ではなく、かえって大事な現金収入になっていたのかもしれない。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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