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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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藤枝 瀬戸川徒歩渡 行書東海道(天保後期刊) |
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本多家四万石の城下町、藤枝宿の西はずれを流れる瀬戸川である。当時は百十三間ほど(約二〇五メートル)の川幅であった。水量のないときには、仮橋が作られていたという。川渡しの人足は十五人おり、料金は他の河川同様に水深によって違う。一番浅い膝水は八文(約百二十円)、脇水は四十文(約六百円)、一番深い首水は四十八文(七百二十円)であった。大きな川ではないので、普段は川会所はなく、出水の時には仮会所ができ各種処理が行われた。水量が少ないせいか、肩車ではなく、旅人を背負って渡っている。右側三人は人足に背負われている。このうち中央の旅人の荷物は小さいが、右の人足は大きな荷物ごと商人を背負っている。対岸から巡礼夫婦が来る。父親が娘を背負い、もちろん人足など使わない。瀬戸川にて人足の背負う姿を描いた絵は本図だけではない。「狂歌入東海道」や「竪絵東海道」でも、同様に肩車ではなく、背負って渡っている。仮橋が架けられるほどの浅い川であるので、徒歩渡しはいつでもこんな形であったのかもしれない。
瀬戸川付近で有名なものは、川の西方の瀬戸(青島)の茶屋で売られていた「瀬戸の染飯」である。各道中記に書かれているので、旅人はいかなるものか、楽しみにしていたのであろう。宇都宮峠の十団子同様、食べられるものとは思われない。梔で黄色に染めた強飯をすりつぶし、小判型の木型で押し固めて薄くして、乾燥したものであった。旅籠が完備しない時代には、水でもどして食べる大切な保存食や非常食であったのかもしれない。室町時代からこの染飯があった。梔は疲労回復の薬とされていたようでもある。包装紙に印刷する版木が現存している。壺形に「名物 瀬戸御染飯」と印刷される。 文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 ご承知おき下さい。 |
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