写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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岡部 宇都の山之図
行書東海道(天保後期刊)



 東海道は丸子の宿を過ぎてから山地に入る。難所の一つ宇都谷峠である。この絵は、板葺きの屋根に石をのせる峠の茶屋を描いている。中では赤ん坊をおんぶした茶屋のおかみさんが茶を出している。当時の道中記などをみると、茶代は八文(百二十円)ぐらいであろうか。髪を手拭いで結び、赤ん坊を着物の中に直におんぶしている。帯を下方に結び、更に前掛けを締めて、かいがいしく立ち働いているのがわかる。客は小さな荷物を下ろしもせず、煙草盆を脇において一服しているのであろう。腰にたばこ入れが下がっている。中央の看板は「名物十ヲだん子 うつのやま(宇都之山)立場」。峠の茶屋であることがわかる。当時、峠の集落では随分名物の十団子が売られていた。十団子は、このおかみさんの頭の上に下がっている数珠の様な形をした団子である。乾燥してカチカチになった十個の団子に麻の紐を通して一連にしたものである。堅いものであるので、いわゆる団子ではなさそうだ。すでに宗長の頃にはあったことが知られている。この絵の頃には峠の地蔵堂にお供えしていたようである。旅人は道中安全を祈ったのであろう。現在は厄除けのお守りとして売られている。元は水にもどしてから食べる非常食であったのかもしれない。その左に挿しているのは、普通のお団子に見える。注文があると火にあぶってから出したのであろう。これもここの名物であったのか、『金草鞋(十返舎十九)』にも両方の団子が描かれている。茶屋内の右端にも看板があるが、これは「仙女香 坂本氏」で、江戸京橋南伝馬町で売られていたおしろいの広告である。
 この東海道の本道は、豊臣秀吉が小田原攻めの時、街道が狭いので新たに開いた道で、室町時代の旧道は蔦の細道といって本道から分岐して南側に現存している。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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