写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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府 中
隷書東海道(弘化刊)



 現在の静岡市である。徳川家康は将軍職を隠居してからは、この地に居城して、天下に号令をかけていた。市街は大きく、東海地方の中心地であった。名物も多く、当時の道中記には、竹籠細工・紙子・藍鮫細工・茶などが見える。この絵は町の中心部より、西約二キロメートルに位置する遊廓の二丁町である。町の入口の大門は、東海道の道筋より少し南に入ったところにあった。この絵は大門外の華やいだ夜の姿である。今、馬に乗った客二人が二丁町に到着したところである。右側の頬かぶりをして、刀をさした男の着物には紋が見えるので、武士であろうか。二丁町へは旅人ばかりでなく、駿府からも在方からも大勢遊びに来ていた。右側の駕籠も大門に到着したところである。女たちが“おじゃれ。おじゃれ(お出であれ)。”と客を手招いている。提灯を持った女が門内に入って行く。中には男たちのたむろしている姿がある。その中央に女の後ろ姿が見えるので、客引き女と交渉しているのであろう。画面中央やや下方の按摩は、これから大事な稼ぎに大門に入るところである。この絵は『東海道中膝栗毛(十返舎一九)』にヒントを得て描いたものかもしれない。“弥二「空尻にのって、女郎買もおもしろいおもしろい。」頓て爰より尻馬に内乗、ゆくほどに、かの安部川まちといへるは、あべ川弥勒の手前にて、通筋よりすこし引こみて大門あり。爰にて馬をおり、(以下略)”に、この様子をかいま見ることができる。当時、遊廓で泊まることは禁止されていた。ここで遊んだ旅人はもう一度、二キロメートル東方の宿場までもどらなければならなかった。翌朝、眠い目をこすりながら、また二丁町の脇を通り、次宿の丸子に向かうとはお気の毒ともいえる。すぐ西方、安部川東詰めの茶店では、現在も静岡名物として知られている“安倍川餅”が売られていた。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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