写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

−2−
品川 鮫洲朝之景
行書東海道(天保後期刊)



 朝日のさわやかな海岸沿いの茶店には、早朝出発した旅人がすでに休んでいる。自動車免許でおなじみの鮫洲の海には、今では想像もできないほど美しい藍色の水面が広がっている。埋め立て以前には、引潮時は浅瀬が数キロメートルもあったという。実際にはこんなきれいな海ではないかもしれない。茶店の右には海草採りの女が竹籠を肩にかけ、拾い集めている。天日で干して名物の浅草海苔を作るのだろう。茶店の看板には「あなこ御茶漬け 酒肴品々」とあるように、当時は穴子もまたこの辺りの名物であった。小腹の減った旅人が、一息入れて、茶漬けを流し込んでいたのであろう。提灯には紋らしきものが書かれているが、もちろん茶号の屋号ではない。「江吉」「江嵜」は、この絵の出版社江崎屋吉兵衛の広告で、現在同様コマーシャルに余念がない。まるで房総や三浦半島の海岸線を見ているような、のんびりした眺めである。品川は日本橋から八キロメートル程であるので、当時でも江戸の内と変わらない近場であった。それでも江戸の町の南境界線はJR田町駅から、札の辻・地蔵通り・三の橋・麻布にかけて引かれていたので、その南側の品川周辺は江戸町奉行の支配下ではない。現在の都下或いは郡部といったところであろうか。ようするに桜吹雪の北町奉行遠山金四郎のお膝元ではないわけだ。本塾の三田キャンパスは当時の江戸南境界線ぎりぎりに、辛うじて入っていた。東海道もこの辺りでは旅人だけでなく、所用に出向く庶民や川崎大師参詣の行楽客も随分いた。品川の宿場は今の品川駅周辺ではなく、京浜急行の北品川と新馬場付近である。大江戸の隣町(公式には宿場
でもあるので、吉原に対抗するほどの享楽の地となった。この錦絵の頃には、飯盛女郎だけでも千人以上もいたという。

文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


※著作権により、複写・転載等を禁じます。



ホーム



株式会社 宮原新聞舗
〒955-0861新潟県三条市北新保1-12-14
TEL.0256-33-1187
FAX.0256-34-5715
MAILmiyahara@yc-sanjo.com