写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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江尻 三保遠望
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 清水港鳥瞰図で、中央部には左に伸びた砂嘴の三保の松原、向こう側には原宿(14)にてふれた富士山の南に位置する愛鷹山と、右方は伊豆半島の根元であろうか。三保の松原は先端が三つに分かれ、典型的な分岐砂嘴といわれているが、この絵をみても岬の先がいくつかに分かれている様子がわかる。港には大小の船が停泊している。三保の左方の海は、前宿の興津清見寺前に広がる昔からの名勝地清見潟である。下方の町は清水と思われる。宿場の江尻は、現在では清水市内に入っているために、余り知られていない地名である。明治時代の地形図をみると、三保の岬の手前で大きく右折する旧東海道と巴川に沿う江尻の宿場町と、海岸に沿って南下する河口の清水の港町が各々独立した町を成していたことがわかる。清水港は駿府城の外港として河口に作られた。当時の港は川沿いであったが、明治以降、湾岸に新波止場が作られた。明治二十二年、江尻宿の東方に東海道線の江尻駅が開業した。江尻町と清水町等が合併して大正十三年に清水市ができたが、この江尻駅が清水駅と改称するのは昭和九年である。絵の下方の港をよくみると、巴川の河口付近であることがわかる。小舟の集まる所は河口の両岸とみえる。大船の帆柱も左方に見えるので、河口まで大きな船も入っていた様子もわかる。こうした理由もあり、下方の町が江尻ではなく、港町の清水であることがわかる。この絵は『東海道名所図会(秋里籬島編 寛政九刊)』所収の「久能山望三保崎(原在正画)」と同一の構図であることから、それを元図であるという人もいる。岬の形や愛鷹山付近も似ているが、同図では愛鷹山の右方にも山が続き、箱根二子山・沼津わしつ山(牛臥山カ)・伊豆大山と山名が注記される。この絵は構図こそ似ているものの、下方に清水港まで描いているので、簡単に写しともいえない。

文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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