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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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由 井 隷書東海道(弘化刊) |
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由井宿と次の興津の間には、海からそそり立つ崖上を通る薩捶峠がある。峠の東側(由井側)に立場の西倉沢(倉沢)と東倉沢があった。西倉沢は峠の登り口に当たる。この絵の看板には「倉沢/さゝえの壷焼」と書かれているが、峠の登山口が右方に見えるので、ここは西倉沢である。東西とも倉沢には栄螺(さざえ)や鮑を食べさせる茶屋が並んでいた。上方、二人の男がいる茶屋は崖に突き出して建てられている。当時よく知られていた望嶽亭であろうか。『東海道名所図会(秋里籬島編)(寛政九刊)』には「薩捶山東の麓西倉沢茶店に、栄螺・鮑を料理て価ふなり。この茶店海岸に崖造りにて、富士を見わたし、海面幽ばくにして三保松原手に取るごとく、道中無双の景色なり。茶店の中に望嶽亭といふあり。遠近人立ち寄りて詩歌俳諧などしるしてこの亭に遺す事多し。このほとりの賤女出汐を汲み、あるいは鮑拾う体、風流にして奇観なり。」と書かれる。また望嶽亭の景色も描かれ、「薩捶山東麓西倉沢茶店/此所富士山鮮やかに見へて東海道第一の風景なるべし。」とキャプションがある。旅の婦人三人がおり、塵・ほこり避けに着物の上に浴衣を着ている。左に供を連れた武家がいるが、二人とも菅笠をかぶっている。一番右の婦人はいわゆる姉さんかぶりである。手拭いの中央を頭にあて、左右を後にまわし、一方を頂上で折り返し、額にはさんでいる。道中では、もとは米屋が糠がかからないようにかぶったという、米屋かぶりも多かった。上の茶屋にいるゆっくり落ち着いた様子の二人の男客は、先を急ぐ遠来の旅人ではなさそうだ。一人はもの珍しそうに切り立った崖を見ている。ここは各種道中記に紹介された。栄螺や鮑は旅人の楽しみでもあったようだ。味にうるさい京都の公家土御門泰邦は『東行の話説』で栄螺をめちゃくちゃに褒めちぎっている。
文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 一部、漢字表記のできない文字があります。 ご承知おき下さい。 |
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