写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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蒲原 富士川渡舟
隷書東海道(弘化刊)



 富士川の渡しである。向かい側に富士山が見えるので、吉原方面である。現在では、製紙工場の煙突が気になる市街であるが、当時の旅人は天空に聳え立つ、崇高な富士山の姿を見ることができたのである。
 この絵は富士川西対岸の岩淵(現在の富士川町)近くである。岩淵は茶屋が並ぶ休憩地であったが、室町時代は宿場であった。広重の東海道錦絵で「蒲原」というと、『夜之雪』と小題をつけ深々とした雪降る宿場を描く、保永堂版があまりにも有名である。しかしながら、他の東海道シリーズで、「蒲原」と題する絵はこの岩淵を描いたものばかりである。芸術的感動を別にして、広重は富士川の渡し西詰の岩淵が、印象深い土地であったのかもしれない。
 この川の渡し賃は当時一人二十四文(三六〇円)であった。乗掛で乗った人の荷は二十九文(約四三〇円)である。舳にいる頭に手ぬぐいを巻いた二人が駕籠かきであろう。旅人らしく、着物の上に埃よけの浴衣を着た女二人もこの前にいる。東西から出発した渡し舟が、今ちょうど川の中央で、すれ違ったところである。富士川の河口は近い。ここから、内陸の甲斐国に向けて、塩・海産物を始め沢山の荷物が船で運ばれた。甲斐国側の河港は鰍沢である。また、日蓮宗の総本山身延山久遠寺への十三里の道はここが追分でもあったので、沢山の信者の姿が見られた。このように岩淵は宿場ではなかったが、交通の要地であった。茶屋が立ち並び、名物の栗の粉餅・甲斐の龍王煙草・富士の芝海苔が売られていた。栗の粉餅は度々旅日記や道中記にその名が書かれている。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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