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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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吉原 左富士 保永堂版(天保三・四年頃刊) |
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松並木の続く街道は、ゆったりとうねりながら富士山の方角に向かっている。小題に「左富士」と書かれるように、当時は街道の左側に富士山が見えるだけで、名勝地であったのがおもしろい。『五街道中細見記』に「此松原上り下りの人左りふじといふ名所なり」と書かれるように、各種の道中記にこの記述がみえる。東海道には、もう一箇所、藤沢・平塚間にも左富士の名所がある。こちらのほうも、当時は知られていたようだが、現在ではほとんどこの名を聞かない。いずれにしても、東海道を西上する場合、普通は富士山を右に見て道を進めることになる。現在、吉原宿手前のこの地には、左富士の案内標示が立てられている。
今、子ども三人を乗せた馬が左富士の地を行く。この馬の乗り方を三宝荒神という。荒神様は竈(かまど)の神様で、三面六臂といわれている。その姿から名づけられたのであろう。各種の参考書に、乗り方の見本としてよく掲載される絵である。馬に乗る人数は三人になってもかまわないが、宿役人や馬方は重量にはうるさく、重そうだと重量を計り直していた。馬の乗り方には、戸塚(6)にてふれたように、人と荷物を乗せる乗掛・重い荷を乗せる本馬・人と手荷物を乗せる軽尻があった。原宿から吉原宿まで当時の公定価格は乗掛と本馬は二百三文、軽尻は百三十文、人足の賃銭は本馬の半額の百二文であった。各々現在の約三千円、約二千円、約一千五百円程である。大きな荷物、長持や駕籠は馬に乗せるわけにはいかないので、人足に頼まざるをえなかった。前述のように一般の利用は相対賃銭であるので、実際にはこれらの公定価格の二倍も払っていたといわれている。人間同様、馬にもひずめを護るために、わらじを履かせていた。省略せずにていねいに描いている。 文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 ご承知おき下さい。 |
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