写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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原 朝之富士
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 田子ノ浦の富士の眺めは今も昔もすばらしい。この絵の枠を飛び越えてまでも、富士山は天空に聳え立っている。富士山の右には、如来像の前立ちのような形で、愛鷹山がやや低い山容を見せている。富士山より古い火山であるので、対照的に深い谷が刻まれ、とげとげしい尾根筋が描かれている。
 画面中央には三人づれの旅人が歩いている。前方の婦人二人が主人で、後ろを行く振り分けの荷物を担いだ男が従者である。婦人は振り返って従者に声をかけている。朝から歩きづめで「そろそろ休もうよ。」とでもいっているのであろうか。着物の裾から見える脚半が、左の婦人は白、右の婦人は赤であるので、右が若いことが分かる。或いは母娘であるかもしれない。二人とも揃いの八藤模様の浴衣を羽織っている。前述のように、道中の塵埃除けや防寒着の役目をしていた。当時の婦人の旅姿絵をみると、本図同様いずれも菅笠を被り、杖をついている。この笠は普通の外出では使わず、旅先でのみ持っていたようだ。低めの位置に、赤い腰紐で着物の裾が持ち上がるように縛り、長時間歩いても着物が纏わり付かないようにしている。二人とも履物は紐付き草履である。後ろの従者は紺地に白抜きの卍模様の腰切り半纏を着て、前に結んだ三尺帯に、尻っ端折りした着物の裾をはさんでいる。肩に掛けた六尺棒の前後には、二人の荷物を詰め込んだ葛籠を掛けている。もう一度背景を見る。富士山麓に広がる一面の葦原は、浮島ヶ原であろう。この辺りは長い間、湿地帯であった。葦原の中には、餌を啄んでいる二羽の鶴の姿が見える。この絵は沼津・吉原間の立場、柏原付近の風景と思われる。沼地が多いので鰻がこの辺りの名物であった。立場の茶店では蒲焼が売られていたが、大田南畝は『改元紀行』で「僅に一寸四方許りに切りて串に刺…」と形の違いに驚いている。『東海道名所記』の檜新田(柏原の西方)にその蒲焼の姿が描かれている。


文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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