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| 写真提供 高橋屋観山荘 |
| 資料提供 慶應義塾大学 |
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沼津 黄昏図 保永堂版(天保三・四年頃刊) |
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日暮れた街道を描いている。まるい大きな月が昇っているので、月明かりで足元も見える。当時の旅人は暮れ六ツまでに、旅籠に着かなければならなかったので、日は暮れているがそれほど遅い時刻ではない。釣瓶落としの秋の日であろう。中央右に巡礼の格好をした母子がいる。二人とも菅笠をかぶり、母は風呂敷で包んだ荷物を首を通して背負い、子どもはふろしきで巻いた小さな荷物を背中に回して斜めに背負っている。よく見ると、母親が柄杓を持っているので、お伊勢参りであることがわかる。揃いのはでな浴衣を着た団体の伊勢参りも多かったが、こうした貧しい参詣者も多かった。この母子は、これから伊勢まで何日も、人々の喜捨を柄杓で受けとめながら旅してゆくわけである。胡麻の蠅に騙され、一文なしになった少年時代の勝小吉(海舟の父)は、柄杓一つあれば旅ができるといわれ、一人でこうした旅を続けたという(『夢酔独言』)。母子の後ろは四国讃岐に向かう金毘羅参りである。大きな天狗の面を背負い、着物から、手甲脚半・足袋にいたるまで、全て白装束である。金毘羅神のいる象頭山が霊山であることから天狗信仰が生まれ、天狗面を背負うスタイルが金毘羅行者のいでたちになったという。腰に下げた煙草入れがやけに大きく見える。讃岐琴平に行くには大阪から船に乗るか、陸路を西上して岡山付近から瀬戸内海を渡り、丸亀や多度津に上陸した。街道は川沿いに西行する。画面の中央を流れるこの川は、天城山に発し、伊豆半島の中央部を流れ下る狩野川と思われる。沼津宿の手前で街道は狩野川と平行していく。月下に照らされた町は沼津宿の町並みであろう。狩野川は、城下町(水野家、五万石)の沼津の手前で、町家をよけて大きく曲流した。宿外れで左方に曲流する。義経・頼朝の対面地として知られる黄瀬川という説もある。
文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫ |
| ※ お断り 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより) そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。 ご承知おき下さい。 |
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