写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学

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小田原 酒匂川
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 東海道は酒匂川を渡ると、小田原宿に入る。川の向こうには小田原城と城下の町並みがみえる。背後の尖った山は箱根山であろう。小田原は大久保家十一万三千石の城下町で、大きな町であった。当時の名物に、いかの塩辛・小梅漬・糠梅漬・うゐろう(薬)・ちょうちん・鰹のたたきがあった。新鮮な魚や曽我梅林の梅など、現在でも名物のものが多い。
 この画面は酒匂川の歩行渡しの光景である。この川は冬場は水量がないので、仮橋が架けられていたが、旧暦三月五日から十月五日までは夏川といい、歩行渡しであった。水深の基準線を一尺八寸(約五十四センチメートル)として、増水して四尺四寸(約百三十二センチメートル)になると川止めとなり、旅人は川の東西の宿(大磯と小田原)に泊まらざるをえなかった。四尺(百二十センチメートル)に下がり、やっと渡ることができた。画面では、人足に肩車をした旅人・輦台(れんだい)に乗る武士・駕籠をのせた輦台が川を渡っている。輦台は大きく分けると三種類ある。四人でかつぐ梯子形の簡略なもの(小田原側に着岸寸前)・手すりのついたもの(左側)・駕籠がすっぽり収まるもの(川の中央)である。川を渡る時には先ず、川役所で渡し賃を払い切符をもらう。人足一人分は天保十三年(一八四二)頃には四十六文(約七百円)であったので、肩車の料金はこれだけである。梯子形の輦台は人足四人であるので、人足賃二千八百円プラス輦台分(人足二人分)一千四百円で全部で四千二百円かかった。同様に計算していくと、手すりのある輦台は前に手張り(波除)人足がいるので、人足七人分プラス輦台分四人分で、料金は合わせて七千七百円である。中央の大名を乗せているような駕籠を収めた輦台は、手張り人足を合わせ、すくなくとも十七、八人はいるので、かなりの高額である。

文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫
  ※ お断り
 広重は生涯で出世作「保永堂版・東海道五十三次」のほかに20種類以上の東海道錦絵を描き続けたとされています。(文献 はしがきより)
 そのため、絵皿の風景と宿場の解説が一致していないものもございます。
 ご承知おき下さい。


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