写真提供  高橋屋観山荘
                                         資料提供  慶應義塾大学
        
                               

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日本橋 朝之景
保永堂版(天保三・四年頃刊)



 「お江戸日本橋七ツ立ち」といわれるように、昔の旅立ちの時刻は通常、七ツといわれている。今の時刻に直してみると単純計算では朝四時頃となる。しかし昔の時刻の基準は日の出を明六ツ(朝六時)、日の入りを暮六ツ(夕方六時)としていたので、一日を等間隔で刻む今の時間帯とは異なり、昼夜の時刻編成が一定ではなかった。今では夏の四時は日が昇り始める時刻であるが、七ツは明け六ツより二時間前であるので、いつでも真っ暗な時間に旅立っていたはずである。
 この絵は朝之景であるので、もちろん六ツ(六時)過ぎということになる。日本橋より西(京都方面)に向かう大名行列が、暗いうちに屋敷を出発して、今まさに日本橋から道中双六の第一歩を踏み出そうとしているところである。日本橋の向こう側(現在の三越寄り)には魚河岸(現在は築地に移転)があったので、画面前方には魚屋さんたちが天秤棒をかつぎ、江戸市中へ売りに行く様子が描かれている。日本橋の向こう側は朝早くから鯔背な魚屋さんたちのかけ声で、賑やかなところであった。ところが橋のこちら側は少し様子が違う。画面左方に高札が見えるように、ここは高札場で、市中の法度(法令)・広報・東海道の道のり等が幾つも掲げられていた。一方、橋の右側、尻尾をみせる二匹の犬の右方には、罪人が晒されていた。縄つきのまま多くの人の前に置き、赤恥をかかせ、庶民の見せしめにするのが当時の掟であった。処刑直前の重罪人・心中未遂の男女・女犯の破戒僧たちが毎日牢から連れ出され、ここに晒され、周りから罵声を浴びせられていたのである。今から思えば、毎日々々役人に見張らせ、手間ひまかかることをしていたものである。広重の終生の家は東海道から数十メートル東に入った京橋北方の大鋸町にあった。常に東海道の様子が見聞きできたことだろう。

文献:慶應義塾大学 三田情報センター 文献シリーズ22≪広重 東海道 錦絵を読む≫


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