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いまからもぉ半世紀も前になるなぁ。
戦後まもなく三条でも卓球連盟が設立されたのを機に、卓球の普及、強化に力が入れられ市内、県下など各大会を開催するほど盛んになりました。その頃私は当時の三条実業高等学校、卓球部に所属していましたが、そんなことで先輩たちも強かったから部活では、かなりしぼられましたねぇ…。でも、そのかいあってか、1951年インターハイに出場しダブルスで16位をそしてその2年後社会人になって新潟県代表として出場した三条市チームは全国青年大会で総合第3位という好成績を収めることができました。当時は遊びというのがほとんどなかったから卓球ばっかりやっていたんでしょう(笑)。 |
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1953年第2回全国青年大会三条市チーム3位(2列目右 小林さん) |
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その後は仕事の方も忙しくなり、しばらく卓球から離れていましたが、定年を過ぎちょうど余裕も出てきた頃、三条市主催の市民卓球教室の指導をしてもらえないかという依頼を受けました。美容と健康のために体を動かすことを目的としている40代から50代の人たちに週1回、フォームや打ち方など基本的なことを教えてほしいというものでした。
かなりブランクがあるので少々不安もありましたが、楽しむことを目的としているならばと快く引き受けることにしました。やり始めると間もなくあの感覚が戻ってきました。そして、みんなと一緒に体を動かしてかく汗はなんとも心地のよいものでした。
卓球は屋内で、ラケットさえあれば気軽に始められるスポーツ。また、反射神経、動体視力を鍛える訓練にもなります。 |
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卓球教室の指導も6年目を迎えた昨年8月、心筋こうそくで突然倒れ、闘病生活を送ることになってしまいました。幸い一ヶ月ほどで退院できたものの、始めのうちはゆっくり歩いて7〜8分が限度だと言われました。かなりショックでしたね。それでも、リハビリを繰り返し今は普通に歩いて普通の生活を送るまで回復しました。
卓球連盟、卓球教室の仕事は副会長や事務局の方たちがみんなやってくれました。随分、迷惑をかけてしまいました…。今もまだ運動することは止められているので私が出せるのは口だけ。見ているだけというのは本当に辛いものです。「早く卓球ができるようになりたい」そんな気持ちを持ち続け、励みにし体力回復につなげていきたいと思っています。そして早くみんなと一緒に心地いい汗を流してみたい。 |