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押絵とは、羽子板の絵のように、布の下に綿を詰め立体的な絵を作る伝統芸術。
その浮き出るような立体感を出すために、まず、下書きした絵を分解して切り取り各パーツごとに組み合わせて一つの絵に仕上げていきます。
綿の入れ具合いやその凹凸感が微妙な味わいを演出し、作品を引きたててくれるのです。素材は全て絹の布地。絵画のように作品をぼかすということができないでしょ。
雲を表現するのに、八色の布地を使ったこともあるし、気に入る色がないと自分で染めて納得した色彩を作り出すこともあります。色合いを考え一つ一つ組み合わせながらどんな作品に仕上がるのかを想像するのが楽しみ。とにかく、ものを作ることが好きなんです。だから、どんな細かいところでも一切手抜きはしません。 |
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若い頃27年間洋裁をしていましたが、その後、押絵をはじめて30年。ある時、立ち寄った書店でみつけた一冊の押絵の本に感銘を受け、この家元に師事したいと夢中で手紙を書きました。しかし、東京においでの家元が私のような田舎者を相手にするはずがありません。書いても書いても手紙は返されるばかり。どうしたらいいかと考えた末、押絵の手ほどきを受けたことがあるので、一つ作品を作りその写真を撮って手紙と一緒に送りました。また、それも返されたのです。しかし、今度は写真だけが抜かれており、「すばらしい作品に脱帽しました。」と書かれているではありませんか。
こうしてやっと家元に会える約束を取り付けることができたのです。が、その先がまた困難で、そう簡単に入門を許してはいただけませんでした。それでも、とにかく私は先生のお名前をいただきたくて来たのだと粘りに粘りました。その熱心さが認められたのか、一ヶ月に一度4〜5点の作品を作って持って来ることを条件に家元のところへ通うことを許されたのです。
その後は作品を作り、家元のところへ通いました。2年後、「栗山さん、異例の早さですよ」と、本当は3年通わなければいただけない雅号を2年でいただくことができたのです。 |
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1976年に「香園」という雅号をいただき、その2年後、三条市中央公民館で初の個展を開催しました。そして翌年、押絵教室「芳洲会」開設に至ったのです。
これまで数多くの作品を作ってきましたが、父に誉めてもらったことは一度もありませんでした。父は何でもできる人だったのです。その父が一度だけ「いいなぁ」と言ってくれた作品が「黒豹」。今にもガラスを破って出てきそうだ。生きているようだ、と。
私は常に、作品は人の胸を打つようなものでなければいけない。と思っています。
何にでも挑戦してみたい。難しいことほどやってみたい。まだまだ勉強をし続けて人がびっくりするような作品を作り続けたい。 |