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Vol.36 岩淵 一也
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![]() <写真説明>祭りの天狗様を描いた親柱 |
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豪雨の後の昭栄大橋
嵐川橋の上から傘をさしたまま町を見ていた。長年住んでいたのに町の淡いたたずまいが新鮮だった。上流には薄青い粟ケ岳と守門岳が見える。視点を手前に移すと左にパルムの14階の建物、三之町病院。旧まるよしは改修中でグレーのシートに覆われている。右の方にはパール金属、2基の球形ガスホルダー、マルヨネの看板が見える。下流に目を移すと信濃川に架かる三条大橋と瑞雲橋があり、弥彦山をバックに競馬場の建物が広がり、燕三条駅とその周辺の建物が望める。五十嵐川紀行の最後を締めくくるにふさわしい雄大な風景だ。 市史の記載によるとこのあたりは川港として栄え、南北を結ぶ渡しがあった。明治6年になって有料の三条橋が架けられたが、その橋も明治14年の水害で流失し、16年に名を嵐川橋と改めて新たに架設されたのだ。今の橋は7・13水害の河川改修で新たに架け替えられた橋である。当初は施工に瑕疵があって論議を呼んだ曰くつきの橋である。勾配が急なため、自転車で行き交う老人には難儀な橋でもある。今は、親柱に大名行列の絵を飾って、弧を描いた美しい橋に仕上がっている。 五十嵐川は古来から幾多の災禍をもたらした川である。田畑を飲み人命を奪い、家屋や橋を押し流し、多くの人に忌まわしい記憶を刻印した。しかも執拗にそれを繰り返した。一方、田畑をうるおし飲用の利をなし、舟運を開き漁獲をもたらした。三条の豊かな自然と人情は、五十嵐川を抜きにしては語れない。 榾橋から川を下り、橋を巡りながら河口まで来た。上すべりな感は否めないが自分なりに橋の多様と五十嵐川の関わりに触れてきた。違った切り口がなかったのかといささか悔いを残しながらだが、それはいずれかの機会を待つことにして、このあたりで筆を擱く。 |
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